神戸地方裁判所 昭和34年(行)4号 判決 1965年6月03日
原告 河合こと川合治良
被告 国・長田税務署長
訴訟代理人 叶和夫 外三名
主文
被告長田税務署長が原告に対し昭和三〇年三月、納期限を同年同月末日として、昭和二九年度入場税金二二六、三四〇円を賦課した処分は無効であることを確認する。
被告国は、別紙目録記載の不動産について、神戸地方法務局兵庫出張所昭和三〇年一一月一四日受附第一八、五一〇号をもつて、大蔵省のためなされた国税滞納処分による差押登記の抹消登記手続をせよ。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用は三分し、その一を原告、その余を被告らの負担する。
事実
(当事者双方の申立)
原告訴訟代理人は主文第一、二項同旨並びに、「被告国は原告に対し金二〇〇、〇〇〇円及び右金員に対する昭和三四年三月六日(訴状送達の翌日)から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決を求め、
被告ら指定代理人は、「原告の請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。
(当事者の主張)
原告訴訟代理人は、請求原因として次のとおり陳述した。
一、被告長田税務署長は、昭和三〇年三月、原告に対し、納税告知書をもつて同年一月二八日から同月三〇日まで神戸市長田区西新開地国際劇場で行われた宝塚新芸座公演(以下本件興行という。)についての入場税(以下本件入場税という。)金二七六、三四〇円を納期限同年三月末日として賦課し、ついで、同年一一月一〇日原告が右入場税残額金二二六、三四〇円並びにその他の国税を滞納したとして、原告所有の別紙目録記載の不動産(以下本件不動産という。)について滞納処分による差押をなし、同月一四日神戸地方法務局兵庫出張所受附第一八、五一〇号をもつて大蔵省のため、その旨の登記をなした。
二、しかしながら、右入場税賦課処分は次の事由により当然無効である。
(一)、入場税の納税義務者は興業場等の経営者又は主催者であつて、入場者から入場料を領収した者であるところ(入場税法第三条)原告は本件興行に何ら関与しておらず、その主催者は訴外森崎有康であり、被告長田税務署長もこの事実を承認していた。
(二)、仮に森崎が主催者でないとしても、それは「宝塚新芸座後援会」なる団体である。しかも原告はその会長ではない。
(三)、また仮に右いずれでもないとしても、主催者は協同組合西神戸商店会である。
以上いずれにしても、原告個人は本件興行の主催者ではないから、原告個人を納税義務者とした本件入場税賦課処分は重大明白な瑕疵がある。
三、しかして、無効な課税処分に基づく滞納処分も当然無効というべきところ、原告は本件入場税を除き、被告長田税務署長に納付すべき諸税を完納したので、本件不動産に対する差押も当然効力を有せず、差押の登記は実体に即さないこととなる。よつて、原告は被告らとの間で、前記課税処分の無効確認を求めると共に、被告国に対し、右滞納処分による差押登記の抹消登記手続を求める。
四、なお、被告長田税務署長は、当然無効の本件入場税賦課処分に基づき、本件不動産に滞納処分による差押並びにその旨の登記をなし、今なおこれを継続しているものであるが、右は被告国の公権力の行使に当る公務員の職務上の故意または過失行為によるものであるところ、原告は神戸市長田区西新開地本通において、相当盛大に洋品雑貨店(ライオン堂)を経営し、約三、〇〇〇万円に上る不動産等の資産を有し、商店会、町内会の役員等に選任されているが、右差押により著しく信用を失墜し、またその是正を求めるため相当額の出費を余儀なくされる等言語に尽し難い精神的苦痛を蒙つている。そして、右精神的苦痛を慰藉すべき金額は金二〇万円が相当である。よつて、原告は被告国に対し、国家賠償法第一条第一項に基づき、右金二〇万円並びに右金員に対する損害発生後の昭和三四年三月六日(訴状送達の翌日)から支払ずみまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
被告ら指定代理人は、請求原因事実に対する答弁並びに反論として次のとおり述べた。
一、請求原因事実第一項は認めるが第二項は否認する。第三項中、原告が本件入場税以外の滞納にかかる諸税を納付したことは認めるがその余の事実及び第四項は争う。
二、本件興行の主催者は原告であり、訴外森崎有康は本件入場税の申告その他の手続に原告を代理したにすぎない。すなわち、原告は宝塚新芸座後援会長の名で、本件興行についての税務に関する事務処理を右森崎に委任する旨の書面を被告長田税務署長あて提出しているところ、「宝塚新芸座後援会」は何ら実体を備えないもので、その実質は原告個人であり、森崎は原告の代理人と解すべきである。たとえ、原告のみが本件興行の主催者でないとしても、原告は少くとも森崎との共同主催者であり、旧国税徴収法第四条の五により両人は連帯して本件入場税を納付すべき義務を負担している。
三、仮に原告が本件興行の主催者でないとしても、原告は自己が主催者であることを示す書面(右委任状)に署名捺印したばかりか、被告長田税務署長に対し、本件興行の開催申告前、森崎を伴つて主催者としての挨拶をしており、被告長田税務署長が原告を本件入場税の納税義務者と認めてなした賦課処分には、重大かつ明白な瑕疵はないから当然無効であるということはできない。
そして、その後の滞納処分による本件不動産の差押は、右課税処分の違法性を承継せず、適法である。
(証拠関係省略)
理由
一、本件興行が原告主張の日に、その主張の場所で行われたこと、被告長田税務署長が原告に対し本件入場税を賦課し、本件不動産につき滞納処分による差押をなし、大蔵省のための差押の登記がなされていることは当事者間に争いない。
二、被告らは本件興行の主催者は原告であると主張し、原告はこれを争うので、まずこの点につき判断する。
成立に争いのない甲第五号証の一、二、証人森崎有康、同平島新吉の各証言(但し、森崎については第一、二回)及び原告本人尋問の結果を綜合すると、経緯の詳細については後記のとおりであるが、本件興行は訴外森崎有康の企画によるものであり、被告に提出した興業等主催申告書(乙第二号証)に記載された「宝塚新芸座後援会」なるものは何等実体のないもので、宝塚新芸座との出演交渉、劇場の借入、前売入場券の売捌き等の一切は右同人が取り仕切つていたこと、右興行について資金を提供したものはなく、それに要する諸経費は全て入場券の売上げにより賄われたこと、そして、右興行に関する収支は全て森崎に集中され、原告は何ら関与しなかつたこと、すなわち、同人は前売入場券の売上げ、当日売入場券の売上げ中、劇場の使用料を差引いた残額を受領し、そのうちから出演者への支払、本件入場税の担保金五〇、〇〇〇円の納付等をなしたこと、しかも、本件興行により発生すべき損益の分配方法について原告或いはその他の者との間の約定は何もなく、その利益は森崎が自由に処分しうるものであり、原告その他の者はそれについて何ら支配力を及ぼしえないものであることが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。
しかして、入場税の納税義務者たる主催者とは、自己の計算において、臨時開催による興行場等の催物を行う者と解すべきところ、本件興行は右事実に照し、森崎の計算において行われたことが明らかであり、原告またはその他の者の計算において行われたものと認むべき証拠はないから、被告長田税務署長が、原告を本件興行の単独主催者として、または森崎との共同主催者として本件入場税を賦課した処分には瑕疵があるものといわざるをえない。
三、そこで、右瑕疵は本件入場税の賦課処分を当然無効たらしめる重大明白な瑕疵であるか否かにつき判断する。
(一) 弁論の全趣旨によると、被告長田税務署長が原告を本件興行の主催者と判断し、本件入場税を賦課した主要な資料は、訴外森崎有康から同被告に提出された委任状(乙第一号証)であることが明らかなので、まず、右書面が同被告に提出されるまでの経過を検討してみる。
成立に争いのない乙第一号証、甲第一、第九号証及び後記乙第二ないし第六、並びに第八号証に証人磯部清一、同佐伯正、同小林登、同木村雄郷の各証言並びに前記森崎の証言(第一、二回)及び原告本人尋問の結果(但し、木村の証言を除き、いずれも後記認定に反する部分を除く。)を綜合すると、
昭和二九年一二月頃、森崎は原告が当時理事長の職にあつた協同組合西神戸商店会に雇われ、同商店会の宣伝のための新聞編集に携わつていた関係で、同商店会の主催で本件興行を行うことを原告に勧めたが、原告がそのことを他の理事に諮つたところ、賛成がえられなかつたこと。
そこで、森崎が個人名義で挙行しようとしたが、個人主催では神戸新聞社等の後援がえられないので、本件興行のみのために「宝塚新芸座後援会」なる名称を使用することとし、当時兵庫県会議員であつた野瀬善三郎に会長を、神戸市会議員であつた磯部清一に副会長を引受けるよう依頼し、両人もそれを承諾する意向を持つていたが、地方選挙が迫つていたので、神戸新聞社が政治的に利用されることを嫌つて反対したため、森崎はやむなく同月一七日新芸座後援会長森崎有康の名義で本件興行の主催申告書(乙第二号証)及びその他の書面(乙第四、五、六、八号証)を被告長田税務署長あて提出、受理されたこと。その後、森崎は同年同月二七日入場券の前売代金中から金五〇、〇〇〇円を入場税担保として同税務署に納付し「新芸座後援会長森崎有康」宛の領収証書(甲第一号証)の交付を受けたが、同日頃同税務署職員小林登から、入場税担保金との関係上他の有力者をその会長とし、森崎は税務についての代理人の形式をとるよう示唆されたので、右小林の言に従い、「国際劇場にて行う新芸座公演に関し、森崎を税務責任者とする旨」を記載した「宝塚新芸座後援会々長河合治良」名義の被告税務署長宛の委任状と題する書面(乙第一号証)を作成し、原告方で原告の捺印を求めたところ、原告はその内容を一読したうえ、森崎の「原告には決して迷惑をかけない」旨の言を信じ、かつ右書面は森崎において税法上の一切の責任を負うべきことを記載した書面と思い押印したこと。そこで、森崎は右委任状を被告長田税務署長あて提出し、同時に森崎または長田税務署係員がすでに提出してあつた前記各乙号証の森崎の氏名の冒頭に「代」の字を書き加えたこと。
が認められ、前記各証人の証言及び原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分はたやすく措信しがたい。
殊に、証人佐伯、同小林は、乙第一号証と他の前記各乙号証は同時に、少くとも同日に提出されたものである旨証言するが、これは証人森崎の証言に反するばかりでなく、被告長田税務署長あて提出された書面には、右乙第一号証を除き全て長田税務署の受付印の押捺があるのに(同様の性質の書面である甲第四号証にも)、右書面にのみ存しない事実に照しても措信しがたいところであり、同書面は後日提出されたものと推認せざるをえない。
そして、被告長田税務署長は右乙第一号証が提出されたため、会長と表示された原告を本件興行の主催者として本件入場税を賦課したことは前記のとおりである。
ところで、課税はその真実の義務者に対しなすことを要件とするから、行政庁の国民に対する課税処分において、納税義務者を誤つたときは、その処分は原則として無効となるべき重大な瑕疵があるものというべきであるが、納税義務者として課税処分された者にもそのように判断されたことにつき責に帰すべき事由がある場合、その瑕疵の重大性ないしは明白性が軽減されることは否定できない。
本件においては、前認定のとおり、原告が「宝塚新芸座後援会長」の名で、あたかも本件興行の主催者であるかの如き書面を森崎を通じ被告長田税務署長あて提出しているところ、「宝塚新芸座後援会」なるものは、本件興行の便宜のため森崎が考えついたものであり、何ら実体のないものであることは右認定の事実により明らかであるから、会長と表示された原告を実質上の主催者として本件入場税を賦課した処分はやむをえないもの、すなわち、右賦課処分には重大明白な瑕疵がないと考える余地がないでもない。
しかしながら、法人格のない団体が興業の主催者となつている場合、税務署長は右団体が税法上の義務主体たり得る人格なき社団等に該当するか否かその実体を調査しなければならないのみならず、森崎が興業等主催申告書等前記の書面を被告長田税務署長あて提出した前認定の過程を考えると、同被告において本件興行の真の主催者は森崎ではないかとの疑いをもつて然るべき場合であるから、会長とされている原告につき事情を聴取する等の処置をとるべきであり、これにより容易に右後援会の実体及び原告が本件興行の主催者でないことを知りえたはずである。証人佐伯正、同小林登の各証言中には、「原告が昭和三〇年一月一五日頃、長田税務署において、自己が本件興行の主催者である旨を申述べた。」という趣旨の部分が存するが、この部分は前記森崎の証言、原告本人尋問の結果に照らすと、本件興行前の昭和二九年に原告が会長を勤めていた西神戸商店会の主催で西新開地昭和館において宝塚少女歌劇団を招き無料公演をした際、原告が被告税務署に挨拶に赴いたときのことと混同している疑いがあつて、十分な信を措きがたく、他に原告が被告長田税務署長に対し、右の趣旨の言を述べたことを認めるべき証拠はない。そうすると、右原告の責に帰すべき事由が存することを考慮しても、本件入場税の原告に対する賦課処分には少くとも重大な瑕疵があるものといわざるをえない。
(二) ところで、行政処分に重大な瑕疵が存するとき、その瑕疵は客観的にも自ら明白であることが通常である。しかしながら、本件の場合は、前認定のような「新芸座後援会長河合治良」名義の書面(乙第一号証)が被告に提出され、しかも、成立に争いのない乙第七号証、第一四号証の一ないし三、第一五号証によると、外部的には「宝塚新芸座後援会」の主催であることを表示しているに過ぎないことが認められるので、このような場合、被告長田税務署長の主催者についての判断の誤りが何人にも一見明白に看取できるということは考えられず、その処分についての瑕疵が明白であるか否かは、被告長田税務署長が原告を本件興行の主催者と判断するに至つた資料その他諸般の事情を客観的に考察した場合に、同被告の判断に明らかな誤りがあると認められるか否かにより決すべきものと解さざるをえない。
そうすると、本件の場合前記瑕疵が重大であることを示す事実は、同時にそれが明白であることをも示すものと考えられるところ、前認定のとおり、本件興業については、当初「新芸座後援会長森崎有康」名義で興業の主催申告書が提出され、後にその変更手続をとることなくして、同会長河合治良名義の委任状(乙第一号証)が提出され、同時に従前提出の書類に「代」の字を挿入して、森崎が同会長に代り提出した形式を整えただけで、同被告はその実体を調査せず(税法上義務主体となり得ない団体の興業にあつてはその代表者の変更は即ち主催者の変更にあたるというべきである)しかも、成立に争いのない甲第一号証、乙第一一号証、「代」と記載された部分を除き成立に争いなく、右除外部分も証人森崎有康、同小林登の証言により、その各作成名義人である森崎が書き加えたか、または、同人の意思に反せずして長田税務署係員が書き加えたことが認められる乙第二ないし第六、第八号証、右小林の証言により成立を認める同第九、第一〇号証によると、本件入場税賦課に至る過程で、長田税務署内部においても必ずしも一貫して原告を本件興行の実質上の主催者、森崎をその税務に関する代行者として取扱つていなかつたことが認められ、(右各書面の宛名人、作成名義人及びその資格についての記載の不統一。)前記佐伯、小林の各証言中右認定に反する部分は措信できない。
なお、このことは成立に争いがなく、その書面自体の記載により森崎から被告長田税務署長あて提出され、同被告がこれを受理したことが明らかである甲第四号証によれば、同被告が事後的にではあるが、森崎を本件入場税の納税義務者として認めていたものとも解することができることに徴しても肯認せざるをえないものというべきである。
しかして、違法な課税処分を受けた国民に対してはできる限りその救済を図るのが国家の任務であるというべきところ、前記(一)に認定をした事実及び右の事実を綜合判断した場合、原告につき事情聴取をすることもなく、主催者でない原告を本件興行の主催者とした被告長田税務署長の判断は、重大であると共に明らかな誤りであるといわざるをえない。
(三) 右に述べたところにより、本件入場税の原告に対する賦課処分は当然無効と解すべきであり、また無効な課税処分に基づく本件不動産に対する滞納処分による差押も効力がなく、右差押の原因となつた本件入場税以外の他の滞納にかかる国税がすでに納付されたことは当事者間に争いないから、右不動産差押の原因はなく、差押の登記は実体に即さないものとして抹消を求めうると解される。
四、次に原告の被告国に対する金銭支払請求について考察することとする。
原告に対する本件入場税の賦課処分及びその滞納処分による本件不動産についての差押登記は、被告国の公権力の行使にあたる公務員が、その職務を行うについて、少くとも過失によりなされた違法な処分であることは前記により明らかである。
原告は右差押登記により信用を失墜し、甚だしい精神上の苦痛を蒙つたからその損害賠償を求めると主張する。しかしながら、本件不動産につき滞納処分による差押の登記がなされたというだけでは、それが公衆の目に触れるというわけでもないから、何らかの特別の事情のない限り、金銭賠償を求めうる程の客観的な精神上の苦痛を原告が蒙つたものとは認め難いところ、そのような事情を認めうべき証拠はない。
また、証人磯部清一、同佐伯正の各証言に原告本人尋問の結果を綜合すると、原告は自ら又は人を介し本件課税処分以後本訴提起までの間度々被告税務署長及び当時の間税課長であつた右佐伯に対し、本件課税処分の取消方を申し出たことが認められるので、原告が本件違法な課税処分の「是正を求めるため」旅費提訴費用などに相当額の出費をなしたことは容易に推測しうるところであるが、財産上の損害が直ちに精神上の損害に転嫁するものではなく、むしろ、財産的侵害があつた場合、通常生ずべき損害は財産的損害であり、財産的損害の賠償により満足されない精神的損害があるならば、それは特別事情による損害として、予見可能性のあつたときにだけ賠償すべきものと解される。しかるところ、この点に関する主張立証はない。
従つて原告の被告国に対する金銭支払請求は失当と解さざるをえない。
五、以上により、原告の本訴請求中、被告らとの間で本件入場税賦課処分の無効確認を求める部分及び被告国に対し、本件不動産についての差押登記の抹消登記手続を求める部分は理由があるものとして認容し、被告国に対し、金銭支払を求める部分は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条、第九三条第一項を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 原田久太郎 林田益太郎 尾方滋)
(別紙目録省略)